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私達はどこから来たのか?

なぜインド人の私達が日本でインド料理店を経営することになったのか? そのいきさつをオーナーシェフハリオムの視点より皆様にお伝えいたします。

インドの独立


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私たちの祖父ゴパルダス(Gopaldas)は、1900年頃、当時英領インド(現パキスタン)のシアルコット(Sialkot)で生まれました。祖父ゴパルダスの生家は、インド料理店でした。祖父ゴパルダスの父親、つまりは、私たちの曽祖父もインド料理のシェフだったわけです。それ以前のことはよくわからないのですが、何世紀も前から私たちの家族は料理人として生計をたてていたようです。

祖父ゴパルダスは成人すると、彼の父親の経営するインド料理店で働きました。そして祖母マヤデビ(Mayadevi)と結婚し、6人の子供を設けました。その6人(息子4人、娘2人)の子供の上から3番目で、1935年に生まれたのが私たちの父親であるソムナット(Somnath)です。

1947年、父ソムナットが12歳の時、イギリスからのインド、パキスタンの独立に伴い、ヒンドゥ教を信仰していた家族はシアルコットからパニパット(Panipat)に引っ越しました。

独立という混乱の渦中で、家族はパニパットで一からの出発を強いられました。財産はすべてシアルコットに置いてきたのです。何もなくてとても貧しい生活だったそうです。父親と息子4人はみな外で働き、家を支えました。

レストランシアルコッティ

レストラン シアルコッティ

1955年、祖父ゴパルダスはニューデリ(New Delhi)でお店を借りて4人の息子とともにインド料理店「シアルコッティ(Sialkoti)」を開業しました。父ソムナットは、この時20歳で、レストラン開業と同時に母カワルラニ(Kawalraani)と結婚しました。そして3年後の1958年、私ハリオム(Hari Om)が生まれました。

ハリオムが生まれた後、店は大繁盛。毎日行列ができる有名なレストランになっていきました。開店から6年後には店も買い取り、長男、次男もそれぞれインド料理店を開店し、自宅も構えるまでになりました。

そんな家庭に生まれた私ハリオムは、父ソムナットが、とてもハードに働くのをみて育ちました。だから「シェフにはなりたくない」と思っていました。でも時々家で家族に料理を作ったりすることはありました。12歳ぐらいのころの話です。家族みんなが私の料理をとても気に入っていました。

シェフになろうと決意するまで

祖父 Gopaldas 父 Somnath 叔父 Shamlal

1971年私が13歳の時、父ソムナットがオートバイの事故にあいました。大事故でした。父は1年以上もの間入院していました。その時、レストラン「シアルコッティ」のシェフは祖父ゴパルダスと、叔父シャムラル(Shamlal)と父ソムナットでした。 父ソムナットが当分仕事はできないとわかった時点で、ハリオムが店を手伝うことになりました。この時、ハリオムにいろいろと仕事を教えてくれたのは、叔父のシャムラルでした。 今でも叔父シャムラルは、ハリオムの最初の先生ということから、とても尊敬しています。また祖父ゴパルダスと、父ソムナットも共にすばらしいシェフでした。 店の仕事が忙しく、私は学校へも行かれませんでした。1年後父ソムナットが退院したので、私は学校に戻りました。

1973年私が15歳の時、父ソムナットが2度目のオートバイの事故にあいました。 (インドはとても交通事故が多いのです。)父ソムナットは、再び半年間入院することになりました。 またこの年に祖父ゴパルダスが亡くなったため、私は再び店の手伝いをしなければならなくなりました。 そして、この時から私のシェフとしての人生が始まりました。私は父が退院しても、もう学校には戻らず、そのままレストランで働くことを選びました。

ハリオムが18歳になったとき、祖母マヤデビが私に私の家の歴史について話しました。シアルコットからパニパットに渡ってきた頃の話や、父や父の兄弟、祖父はもちろんのこと、曾祖父もインド料理のシェフであったことを聞きました。そして「自分もこの道で成功したい」と強く思うようになりました。

要人担当シェフになるまで

そして私は1976年18歳の時にタージマハールホテルに入社しました。入社というよりまさに「修行」という言葉が当てはまると思います。本当にハードな仕事でした。 タージマハールホテルには3年間在籍しましたが、その間、ウデプールにあるタージレイクパレスにも勤務しました。 タージマハールホテルでがんばった結果、シェフに昇格し同じグループのタージパレスホテルに異動しました。 タージパレスホテルでは、要人に料理を出す「VIP担当シェフ」にまでなることができました。 タージマハールホテルでの経験のおかげで、それ以降どんなに困難なことがあっても、そのときの頑張りが自信となり、乗り越えてこられたような気がします。

Taj Mahal Hotel タージマハールホテル(デリー) Taj Palace Hotel タージパレスホテル(デリー) Taj Lake Palace タージレイクパレス(ウデプール)

来日、そしてインド料理店の開業

私たちの敬愛する母 カワルラニ

1983年にタージグループを退職し、香港のインド料理レストランで1年間、総料理長として勤務。 その後、1985年から日本のインド料理レストランで、総料理長として勤務しました。 そして1998年「インド家庭料理ラニ」をOPENしました。「ラニ」という店の名前は私たちの母、「カワルラニ」の名前からとったものです。 「ラニ」とはヒンディ語で「Queen」という意味です。