人が死んだらガンジス川に流すって本当ですか?
本当です。流すのは遺体ではなくて骨ですが。
インドには「お墓」や「霊園」というものはないんですよ。 ガンジス川は「聖なる川」としてヒンドゥ教徒にとっては特別なものです。 ガンガで沐浴をすることには「罪を清める」という特別な意味があります。
でも、実はヒンドゥ教徒でも例外はあって、僧侶の場合は土葬 (キリスト教のように棺におさめてから埋葬します)の場合もあります。
ヒンドゥ教徒は人が亡くなると火葬してから、その遺骨をガンガに流します。 聖なる川、ガンガに流すことによって、罪も洗い流され、苦しい輪廻を繰り返すことなく、悟りの境地に達すると考えられているからです。 誰もが、死んだらガンガに葬られることを願っています。
ところで、日本に来てから日本のテレビ番組を見て初めて知ったのですが、 いわゆる「水葬」というものもインドでは行われているらしいです。 つまり、火葬しないで遺体をそのままガンガに流すということです。 デリーでは、見たことも聞いたこともなかったので、とても驚いたのですが、 帰国した折に年長者に聞いてみたところ、そういう葬送を行う場所もインド国内にはあるらしいとのこと。 いや、本当に驚きました。インドは広いですからね。 離れている場所同士は同じインドでも外国みたいなものです。
インドにはお墓はない???
でも、世界的に有名なタージマハールはお墓ですよね。 タージマハルは、ムガール帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、 亡くなった王妃ムムターズ・マハルのために1632年から22年の歳月をかけて作った世界遺産にもなっているインドを代表する建築物です。 というわけでタージマハールはお墓なわけなんですけど、そもそも彼らは、イスラム教徒なんですね。 ですから正確には「インドにはお墓がない」ではなく、「ヒンドゥ教徒にはお墓がない」。 強いて言えば「ガンジス川がお墓である」と言えるかもしれません。
人がなくなってから、ガンガに葬られるまではいったいどうなっているのか。 まずは、居住地域ごとに定められていて、国が管理している火葬場に行って遺体を火葬します。 レンガで囲われた焼き場の中に、薪を積み上げた上に遺体を置いて、更にその上に 薪を積み上げて火をつけます。
4日後に骨を拾いに行きます。その時、まだ骨は熱くてさわれないほどなので、牛乳と水を混ぜたものをたっぷりかけて、冷やします。 遺骨を入れるための故人の名前と住所の入った専用の袋に、遺骨をおさめます。 そのまま、火葬場に13日後まで安置します。
13日後に骨を引き取り、斎場(昔は自宅で行うことが多かったですが最近は斎場でやることが多いです。) で、お坊さんを呼んでお葬式をします。お葬式自体は、日本で言う告別式とほとんど同じです。
お葬式が終わったら、そのまま車に乗り込みガンガに向かいます。 ニューデリーからガンガまでは、だいたい200キロぐらい。 その間、大変なのは、その骨の入った袋をどこかに置いてはいけないということ。 必ず誰かが持っていなければならないのです。 それは男性に限られますが、主に息子の役目です。息子がいない場合は、 亡くなった人の男の兄弟、男の兄弟もいない場合は、一番近い親戚の男性が持ちます。
ガンガで骨を葬る場所も決まっています。 私たちの姓はMehraといいますが、ハリドワールの特定の場所が「Mehraさんちはココ」という感じで決まっています。 日本で言ったら、「山田さんちはココ」と決まっていて、そのあたりに住む「山田さん」はみんなそこにやってくるという感じです。
ハリドワールには案内人がいて、私たちは案内人の指示に従い記帳してから川に骨を入れます。 この案内人は、父親も祖父も曽祖父も代々ずっと案内人です。 この時記帳するノートは、案内人の手によって大昔からずっと保管されていて、葬られた人の名前と喪主(主に長男)の名前が記入されています。 ずっと遡っていくと、祖先の名前や亡くなった日を知ることができます。 ちなみに、私の友人は10代前まで調べることができたそうです。
お父さんが亡くなった時、ほんの川岸に骨を置いてくださいという案内人の指示に、私は強く反発しました。 だって誰かが川に入って、お父さんの骨が踏んづけられたりしたらイヤじゃないですか。 それでも案内人が「大丈夫」というので、指示に従いました。 そしてその骨がどうなるのか、じっと見ていました。 お父さんの骨は2時間ぐらいで、砂糖が水に溶けるかのようにガンガの水と 融合してしまいました。ガンガの水がなにからできているのかは知りませんが、 holy powerにあふれていることは間違いありません。