ヒンドゥ教寺院 ジャイババシドゴリア
私たちが信仰しているヒンドゥ教のお寺、ジャイババシドゴリアを紹介します。
ジャイババシドゴリアのある場所
ジャイババシドゴリアは、かつて私たちの家族が住んでいたシアルコット(現在はパキスタン) から、5キロぐらいの場所にあります。シアルコットに住んでいた頃は近所のお寺だったのです。 しかし、英国からのインド・パキスタン独立を契機に私たち家族は、パニパットに移り、その後 ニューデリーに暮らすようになりました。 そのため、現在私たちの家族が暮らしているニューデリーからは、ジャイババシゴゴリア寺院まで、 600キロ余り離れています。だいたい車で12時間ぐらいかかります。
インドは田舎に行くほど道路も整備されていないので、到着までにとても時間がかかるのです。 でも、幸運にもたまたまジャイババシドゴリアが現在のインド領内に存在するため、 私たちはインド・パキスタン独立前と変わりなく巡礼することができます。 もし、パキスタン領内だった場合は、実質的に行くのは不可能だったと思います。 ジャイババシドゴリア寺院は、パキスタンとの国境から2キロぐらいの場所にありますので、 現在でも治安はいいとは言えず、時には遠くから爆音が聞こえてきたりもします。
ジャイババシドゴリア寺院までの 道のりは、電気の開通していない場所も多く、夜間走行することになると道が真っ暗でとても危険です。 また突然、鹿が道路に飛び出してきたりするようなこともあり、注意して運転しないといけません。 巡礼は親戚一同で行くことが多いので、かなりの人数になります。 ドライバーとバスをチャーターしていく場合が多いです。 シアルコットを離れてからは、私たち家族にとってジャイババシドゴリアへの巡礼は一大イベントです。
ジャイババシドゴリア神
私たちはヒンドゥ教を信仰しています。中でもシヴァ神の弟子の一人、ジャイババシドゴリア神を信仰しています。 日本流に言うと、私たちはジャイババシドゴリア寺院の檀家のひとつということになると思います。 いつから私たち家族が、シアルコットに住んでいたのかはハッキリわからないのですが、シアルコットに暮らし始めてから、ずっとこのお寺が「私たちのお寺」なのです。 ジャイババシドゴリア神を信仰することは、即ちシヴァ神を信仰することです。
パキスタンとインドの国境
ジャイババシドゴリア寺院のごく近所から、パキスタン国境方面を撮影した写真です。 ジャイババシドゴリア寺院の付近はいわゆる田舎で、たくさんの緑に囲まれています。 この時は天気があまりよくなかったのですが、天気がいい時であればもっとキレイな写真が撮れたと思います。残念です。 この写真の地平線のあたりはもう、パキスタンの領土です。 インドからパキスタン領内に、入るためには査証が必要です。 とは言っても、現在の政情では、実際に査証を取得して、パキスタンに入国するのはかなり困難です。 実質的には、不可能に近いですし、仮に行ったところで危険なだけで何も得るものはないかもしれません。 でも地平線の、そのもう少し向こう側には、私たちの故郷、シアルコットがあります。 日本は島国なので、外国との境目が比較的ハッキリしていますが、地続きで国境がある場合はこんな感じです。 見た目にはなにも境界はないのですが、向こう側とこちら側は、違う国なのです。 私たち4人兄弟は、ニューデリー生まれのニューデリー育ちではありますが、「シアルコットの出身」という意識があります。
1000年の歴史
ジャイババシドゴリア寺院のメインエントランスです。 この建物は、この寺院の建造物の中で唯一建設当初からあるもので、数あるこの寺院の建物の中でも、 最古の建造物といわれています。もちろん何度も修復を繰り返していますが、建設された時期は、 1000年前といわれています。バルコニーの下の部分、入り口のヒサシにあたる部分には、 サンスクリット文字で「ジャイババシドゴリア」と書かれています。ジャイババシドゴリアとは、 シヴァ神に仕え、神となったマハラジャの名前であり、それがそのまま寺院の名前となっています。 また、その寺院の周辺一帯もジャイババシドゴリアと呼ばれています。 とても広大な敷地をもっています。北インドでもかなり大きな寺院のひとつで、 お祭りのときには、近隣のお寺からも僧侶が集結し、僧侶だけで5000人にもなることがあります。
ジャイババシドゴリアのお墓
ジャイババシドゴリアのお墓です。このお墓はこの寺院の中で、最も神聖な場所です。 ジャイババシドゴリアは、もともとこの地域の藩王(マハラジャ)でした。 ある日彼はシヴァ神に仕えることを決意します。 彼はシヴァ神の弟子に言われたとおり、現在の寺院のある場所で祈り続けていました。 しかし、みんなジャイババシドゴリアのことを忘れていました。 思い出して彼の様子を見に行ってみると、彼は赤ん坊に生まれ変わっていました。
解脱したことによりジャイババシドゴリアは、シヴァ神より特別な力を与えられ神の言葉の伝道者となったのです。 通常、ヒンドゥ教徒はガンジス河に葬られますが、 ジャイババジゴドリアはマハラジャから転身し僧侶となっていたため、 そのまま寺院に埋葬されることとなりました。
巡礼の際は、ここでプージャ(祈りを捧げること)します。 ジャイババシドゴリアを信仰するということは、即ちシヴァ神を信仰することです。 ニューデリーに暮らしていても、簡単にジャイババシドゴリア寺院を巡礼することはできません。 普段、日本に暮らしていると尚更です。日本では、ジャイババシドゴリア像、ジャイババシドゴリアのお墓、 先代のマハントヒラナットジ、亡くなった祖父ゴパルダス、亡くなった父ソムナットの写真を飾った神棚があります。 自宅とお店の両方にあります。自宅では、起床してからと寝る前に、 お店では、仕事を始めるときと仕事が終わった時に、必ずお祈りしています。
また、厨房には私たちの先生、 祖父ゴパスダス、父ソムナット、叔父シャムラルの写真があります。 いつも師匠に見られているのでいいかげんな仕事はできません。 師匠の教えに恥じない仕事をするように心がけています。
マハントヒラナットジのお墓
故マハント・ヒラナットジは、ジャイババジドゴリアの立場を引き継ぐ先代の一番偉いお坊さんでした。 マハント・ヒラナットジには私たちも私たちのの両親も実際、直接に大変お世話になりました。 私自身も、日本にインド料理店を開業するという決断をする際には、マハント・ヒラナットジに相談してから決めました。 ですから、その時マハント・ヒラナットジが「それは見合わせたほうがよい」と仰った場合は、 インド家庭料理ラニは開業しなかったということになります。
このマハント・ヒラナットジのお墓は、ジャイババシドゴリアにある、歴代のジャイババジドゴリアの直系の僧侶の中でも最も豪華なお墓といえます。 このお墓はタージマハルを建造したのと同じ種類の大理石で建造されています。 基本的な建築方法も、タージマハルを模した作りになっているそうです。 右側の写真は建物の床の中央にある、故マハント・ヒラナットジが実際に埋葬されている場所を近くで撮影したものです。
マハント・ラタヌナットジ
マハント・ラタヌナットジはジャイババジドゴリア寺院で現在、ジャイババジドゴリアの立場を引き継ぐ一番偉いお坊さんです。 マハント・ヒラナットジがの死後、マハント・ラタヌナットジがその立場を引き継いだのです。 彼は若いですが、信じられないほど数々の厳しい修行を経て、悟りの境地に達している僧侶です。 ジャイババシドゴリア寺院の歴史で、彼ほどの若さでその立場を与えられた僧侶はいないと思います。 私たちは巡礼の際に、必ず彼を訪ね、これからの人生をどのように暮らしていったらよいのか、助言をもらっています。
彼の実際の年齢には関係なく、私たちはマハント・ラタヌナットジをとても尊敬しています。 1回の巡礼で、最低半日ぐらいは時間を共にします。彼の時間が許せば、1日中話をしていることもあります。 話の内容は、今までの一年間どんなことがあったのか報告などです。普通にみたら単なる世間話です。 とても気さくな僧侶なので、なんでも話すことができます。
彼との会話の中に、様々な助言がや予言があります。 また、巡礼以外にも、家族に何か困ったことが起きた場合は、必ず彼に相談します。 昨年、母が心臓の病で入院したときには、彼は遠路ニューデリーまできてお祈りと助言をくださいました。
ジャイババシドゴリア寺院風景
この寺院で働き、生涯を終えた僧侶たちのお墓です。写真では見えにくいですが、 手前の平らな部分にレンガでできた、茶色い盛り上がりがいくつかあり、 そこに、ひとりづつ僧侶が埋葬されています。
とても貧しい女性がシドゴリアの訪問を牛乳でもてなそうとしたが、誰も牛乳を貸してくれなかった。 そこで困った女性は自分の母乳を彼に飲ませた。 それを知ったシドゴリアは終生彼女を母として慕い、寺院に埋葬した。
僧侶がお祈りをする場所です。数時間、場合によっては飲まず食わずで1日中お祈りをすることもあります。
ジャイババジドゴリア寺院で一番標高の高い場所にある、礼拝堂です。みんな順番に並んでプージャ(祈りを捧げること)します。 平日はそれほどでもないですが、ジャイババジドゴリア寺院は、休日には1000人余りの 信者が訪れるので、この礼拝堂には長い行列ができます。
ジャイババジドゴリア寺院敷地内で、一番最近できた建物の内部です。祭壇には 大きなジャイババシドゴリア神の絵が描かれています。
ジャイババはやんちゃなハマラジャだったので、神に仕えてからも 誰も彼の言うことを聞かなかった。でもついに民衆も彼が悟りの境地に 達したことを知り、過去の愚行を謝罪した。